« 2010年5月 | トップページ | 2010年10月 »

2010年6月

2010年6月 1日 (火)

開けっ広げ、のびやか、のびのび、あるがまま

最近「明日死ぬとしたら、どんなことをしたい??」とか「明日死んでもいいように生きているから」という友人知人の言葉を聞いて、8年前のスウェーデンでの夏を思い出した。スウェーデンのど田舎で、湖と谷と森が、形容する言葉もないほどきれいな場所に住んでいた頃のことを。当時は「コレクティブ」といって、数人のスウェーデン人と共同生活を営んでいた。そして共同生活をしていた一軒家から歩いて5分ぐらいの場所に、学校の実践教育の一環として野菜やハーブをみんなで育てていたという、スーパーナチュラル+シンプルな生活をしていた。スウェーデンの夏は、当時はやや北の方にいたこともあって、いちばん暑くてもわたしにはちょうどいい快適な温度に思え、こんなに涼やかに農作業ができるなんてすてき、と思っていた。だけれど、スウェーデン人にとって25℃を超えて農作業をこなすことは相当つらいようで、みんな畑仕事のあとは大体近くの湖で泳いで汗を流していた。じゃぼん!とばかりに、男女共に真っ裸になって冷たい湖にわいわいと飛び込む。私自身はこんな白昼に野外で、しかも男性もいる中で裸になるなんて、いくらスウェーデンにきて多少「旅の恥は掻き捨て」状態になっているとしてもあり得ない!!!!!と最初は思っていたのだけれど、みんなはこの上なく気持ち良さそうにきらきらと太陽の光を反射した湖の中で泳いでいる。スウェーデンでは、裸になることにそこまで抵抗感がないように思える。もちろん、私のかつてのコレクティブ仲間のように湖で真っ裸で泳ぐのは田舎だからこそできることだけれど。そこには全裸であるからといって、いやらしさの欠片もなくて、ただ単純に太陽と湖の恩恵を全身で受けている、開けっぴろげな笑顔のひとたちの姿があるばかり。最後には羨ましくなって、私もじゃぼんと飛び込んだ。なんと、気持ちのいい!!その時の気持ちよさが、前述の友人知人の「明日死ぬとしたら・・」の言葉によって思い出され、人生最後の日に、体も心も真っ裸で湖や海でみんなと泳ぐのも悪くないかも・・と思った。わたしにとって、裸になることというのは、完全に解放されているとか、心を許しているとか、安心して信頼しきっている、ということと同義であると思う。そして、日常生活では体はともかく、心を裸にした状態で、のびのびとそれを他のひとにも表現することができたらどんなに気持ちいいかと思う。赤ん坊のような、あるがまま、開けっぴろげな笑顔や表情でいられたら。そう思う反面、それを妨げている、感情や心のあり方や、心の枷はなんなのだろう・・何歳くらいから表情を「作る」ようになったのだろう・・とか、改めてそういうことを考えてみると、いろいろな気づきがある。自分のいろんな面や年代を観察することによって、そういう「枷」が見えてくる。それを観ることによって、また一歩ずつ進んでいくことによってさらにまた他の何かが見えてくる。年を重ねるということは、人生を生きる知恵を得るということと同時にいろいろな言い訳や枷も増えていくことだけれど、うまいことその枷に気づいて意識して、そしてバランスよく心を裸にできたら楽しいだろうなあ・・・・・・・・あ、なんか話がずれちゃった(*ノv`)

| | コメント (4) | トラックバック (0)

« 2010年5月 | トップページ | 2010年10月 »